2026/05/27 06:27

ユングは最初、共時性(シンクロニシティの共鳴)を提唱したが、後に再定義している。
ユングは共時性(シンクロニシティの共鳴)について、警告もしている。


1. 「因果関係」との違い因果関係(原因 ➔ 結果):「物(物理的な移動)」によるつながりです。


例:時計の針が動くのは、中の歯車が回っているから(原因があるから動く)。

非因果関係(意味による一致):「心(意味)」によるつながりです。

原因と結果の関係はありません。


例:誰かのことを考えていたら、ちょうどその人から電話がかかってきた。電話がかかってきた原因は「相手がボタンを押したから」であり、あなたの「考えていたこと」が直接の物理的な原因(電波を飛ばしたなど)ではありません。しかし、2つの出来事は「意味」で結ばれています。


2. ユングが提唱した「非因果的連関」ユングは、物理的な原因がなくても、「心の世界(内面)」と「現実の出来事(外面)」が、ある共通の意味を持って同時に起きる現象があると考えました。これを「非因果的連関(ひいんがてきれんかん)」と呼び、いわゆる「シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)」の仕組みとして説明しました。


3. なぜ「非因果」が起きるのかユングの理論では、人間の意識の奥底には全人類が共通して持つ「集合的無意識(しゅうごうてきむいしき)」があるとされています。この深い無意識の領域から湧き上がるイメージやエネルギーが、あなたの「心の中」と「現実の出来事」の両方に同時にパッと現れるため、因果関係がないのに、まるで意味があるかのように一致するのだとされています。



つまり、非因果に秩序を与えるのは、人間である自分自身であることを強調しています。人間がその共時性、シンクロニシティに囚われ自分は特別な存在であり、自分の目が絶対(つまり、タロットカードの「悪魔」のカードの視点で私の目が絶対であり、私がすべてを通している、という人間特有のエゴ)であると言い出すのは、エゴであり、意味付けや解釈を主観を通している、自身なのです。



ユングはそこを懸念したのだと思います。ほんとうにここを理解している人はすくないのです。共時性や引き寄せを言っている人はいるが、ユングの警告を見落として、「悪魔のアインの目(エゴによる支配やコントロール)」に囚われている。


みなが外側の現象に虜になるが、「非因果秩序」を追求する人はあまりいない。その共時性、シンクロニシティ、チャネリング、メッセンジャーに対して、

認知しているのは自分で、
そこに秩序をもたらすのは私の解釈でしかない。
1つの生き方の提案、情報を与えられたにすぎない。


とあります。精神科医で哲学者のカール・グスタフ・ユング(西暦1875年~1961年)は、数秘33で霊能力者でもあったとHeartsは、考えています。というのも、精神世界でチャネリングや交信術、潜在意識を研究していました。



Heartsの解釈でいうなら、そこで囚われるから、愛のビジョン「現れ」を崇拝しだす。○○をみたとか、龍を崇めたりする。


崇めて欲しくて、「現れ」としてみせるか?

考えてほしい。
すべて「愛のビジョン」をみただけ。
ああしろ、こうしろ言わない。
そしたらば、自分の意思、人間の意志はない事になりませんか?


それなら、なぜ、自由意志を与えた?

相手の意志と私の意志との相互作用でしょ?
すべて因果関係ではないところで、
派生してみえたビジョンに方向を与え、価値を見出し、意味を付け加えるのは人間の主観。


カードの意味はこうです。ここまではいい。
だけど、その後からは、占術者の主観が入るのか、カードの解釈として、具体的な事例をお伝えするのか、
そこを知っていて扱っている人と、それを意識せずに、
主観で自分の目がすべてを見通している、という「悪魔(アイン)の目」で絶対そうだ、という占術者は
大きく違いませんか?
必ず、主観というフィルターを通しているということを覚えて意識していた方がいいのです。少なくとも、Heartsはそうです。


コールドリーディングではありがちな、答えだけ、結果だけ知れればいい、という占いは危険です。そこには、また同じドラマの再現性が起こった時に(カルマの昇華で負の連鎖は繰り返されるので)、次に再現性が起きた時に、応用が効かないといったらいいのかな?、再現のドラマに気づかずに、没頭してしまって、占いにきいて歩いてまわるようなことになります。この再現のドラマの負の連鎖パターンを、いくつか視点を与えて占いの鑑定で、起きた意図を理解していれば、解決の鍵を掴めます。

なぜ、自分で決められないのか、なぜ、そこでいつも適応できない1つのパターンをもっているのか、なぜ、感情を出すことができなくなったのか、何を恐れているのか、本当はどうしたいのか、
悩みを相談しているようで、感情をいっていない人がいる。
悩みを相談しているようで、自分の心よりも恐れを信じている人がいる。

自分の人生を豊かにすることが、悪だとおもっている人がいる。家族よりも幸せになってはいけないという罪悪感を抱えている人もいる。
親や他人の観念の刷り込みが、自分自身の観念だと思っている人がいる。


あるひとつのビジョンをみただけなのです。
その非因果に秩序や方向づけをしていくのは自分なのです。
愛のビジョンの現れは、ああしろ、こうしろ、言わない。
魂の尊厳を尊重してくれているはずです。


愛のビジョン(ひとつの真理)をみただけなのです。
そこに解釈をいれるのは人間の思考の解釈であって、愛は光。光はあらゆる制限を超えて「ここにある」のです。